1947年
都市プランナーのデイビッド・ウォルブリンクが、ワイアラエ・カハラのビショップ・エステートの土地の最適な利用方法を模索し、ゴルフコースを残して世界屈指のホテルをビーチに建設し、周囲の雰囲気を維持しながら引き立たせることを提案しました。
1959年
不動産投資家のチャーリー・ピッチは、ビショップ・エステートから土地を借り受けました。そこにはゴルフコースと反対側の15エーカーの土地も含まれていました。ピッチはロサンジェルスに飛び、友人のコンラッド・ヒルトンと対等な折半の取引をします。
1961年
チャーリー・ピッチはヒルトン・インターナショナル、ならびにロングビーチ建築家のキリングスワース、ブレイディ、スミスと契約を締結しました。建設はハワイの祈祷式典を経て翌年から開始されました。
1964年
ホテルがオープンしました。アブラハム・アカカ牧師が各教の聖職者とともに祈祷式典を執り行いました。祝賀昼食会が島の伝統料理を取り入れたメニューで開催されました。
1968年
ドラマ「ハワイ5-0」が放送されると、ヘレン・ヘイズ、ブロデリック・クロフォード、ジェラルディン・ペイジ、ルーサー・アドラー、ヒューム・クローニン、ロレッタ・スウィット、マイク・ファレル、パット・モリタ、エド・フランダースなど、多くの著名人が当リゾートを訪れました。
1971年
マネジメントは、トレーナーのランディ・ルイスをミシシッピ州ガルフポートに派遣し、3頭のイルカ(ウク、ニホア、クイ)をホテルのラグーンに連れてこさせました。
1973年
ヒルトンはホテルの持株を抵当権所有者であるマサチューセッツの保険会社に売却しましたが、マネジメント契約は継続しました。
1981年
プルメリアビーチハウスがオープンしました。建設費用は35万ドルです。
1984年
20周年記念パーティーを開催し、レーガン大統領夫妻をお招きしました。
1985年
イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が来訪の折には側近のために100室が用意されました。
1996年
マンダリンオリエンタルホテルグループが40%の所有権とザ・カハラのマネジメントを請負ました。ホテルを休館にし、7500万ドルをかけて改装を行いました。新しい特別レストラン、ホクズもその際に完成しました。
2000年
ザ・ヴェランダが大々的にオープンしました。
2002年
プールとその周囲エリアを広範囲に改装し、ビーチサイドレストランのシーサイドグリルをオープンしました。
2003年
ザ・カハラ・スパが正式にオープンし、雑誌「Departures」で、アメリカベストニューホテルスパに選ばれました。
2005年
ザ・カハラ・ホテル & リゾートはカハラ・ホテル・インベスターズが取得し、The Leading Hotels of the Worldのメンバーとして独立したホテルとなりました。
2007年
ザ・カハラは5200万ドルをかけて全室改装に着手しました。
2013年
ナポリスタイルのイタリアンレストラン、アランチーノ・アット・ザ・カハラがオープンしました
2014年
ザ・カハラは、2014年1月22日(水)に50周年を祝いました。
2014年
日本全国で48軒の高級リゾートを運営するリゾートトラストが、2014年10月14日にザ・カハラ・ホテル&リゾートを2億9千万ドルで取得しました。この取得は同社のグローバル展開の第一歩で、今後アジア太平洋地域・域外で進めていく海外高級施設の拡大に、ザ・カハラは主力の海外施設としての役割を担うと見込んでいます。
2015年
50年以上の環境保全に対する取り組みが評価され、ハワイ州においてグリーンビジネス州知事賞を受賞しました。
2016年
権威あるアメリカのワイン雑誌「ワイン・スペクテーター」と協賛のハワイでは初のワインイベントを開催しました。
2017年
1年以上もの月日をかけて完成された芸術品「ハーモニー・オブ・パラダイス」は、高さが約4メートル、幅が約2メートル、重さが約997キロのミソハギ科の樹木1本から掘られた傑作がロビーに飾られました。
フロントデスク、コンシェルジェ、店舗、スパ受付、プルメリアビーチハウスとシーサイドグリルの改修工事を完了し、新しくザ・カハラの数々のロゴアイテムを扱う「シグネチャー・アット・ザ・カハラ」を開店しました。
2018年
ザ・カハラ・ホテル&リゾートの「ホクズ」が大規模リノベーション。グローバル・ハワイアン・キュイジーヌをコンセプトとした一新されたメニューと共にリニューアルしました。
2019年
ザ・カハラ・ホテル&リゾート総支配人にジョー・イバラが就任しました。
ザ・カハラの総料理長にジョナサン・ミズカミが就任しました。
2020年
プアラニ・フェルナンデスがリゾートマネジャーに就任しました。